2014年1月24日金曜日

ルクセンブルク伯爵マインドで行こう!

サムライの指導をしてくださっている新南田ゆり先生がヒロイン、アンジェール役を努める「ルクセンブルク伯爵」をサムライのメンバーと観て大変大きな勇気をもらってきました。

座席はなんと一番前中央のかぶりつき。

新南田先生と目が合うかなあ、、、などと思っておりましたが、そういう感じはありませんでした。
そう、先生はすっかり舞台で役に成り切っているのです。
死者の霊に取り憑かれたイタコのように。(って例えが悪いな、、、)
舞台で役に成り切るということは、恐らく客席など目に入らないのだと思います。
そんな感じがしました、うん、きっとそうだ。
役に成り切って想いの丈を出し切る、そのことに夢中になれば数千人のホールだろうがなんだろうが緊張であがることはない、と、かつてレッスンで言っていましたもの。
これがおいらだったら、お、あいつ来てるな、と知人客に笑顔でサインを送ったかもしれません。
芸術と学芸会の境界線はこんなところにあるのかもしれません。(他にもたくさんあるだろってツッコミはなしでお願いします)

物語はシンプル、そしてハッピーエンド。

なんだか吉本新喜劇みたい。

悲劇的オペラは観ることが辛くて、その後の消耗感に耐えられないことがありますが、こういう少々バカバカしいくらいの筋書きと笑いを誘う場面が多い演劇は実に楽しくてココロの栄養になる。

あらましについては、よく書かれているブログを発見。 こちら。

「老いらくの恋」は我々サムライの持ち歌なのですが、全体を通してみる事で、なるほどこういうシチュエーションだったのねと改めて感慨一入。

サムライが本番で歌う時も、「♪オーイラクノコイハメロメロデー、、、、、、♪」歌が終われど、伴奏が再開され、ボックスステップとサイドキックのダンス付きフレーズを何度も何度も繰り返し、みんな本当にヘトヘトになるのですが、プロは演技でヘトヘトになっているように見えました。
だって、息が上がっていないんだもの。
サムライは息が切れたものね。
プロの根性を観た。
と言うか、サムライが運動不足なのだな、、、。

ルクセンブルク伯爵(ルネ)はルクセンブルク公国の伯爵であるにもかかわらず、ボヘミアンであろうと何であろうと、愉快な仲間と分け隔てなくパーティーで楽しむ。
「カーニバルの夜出会った男女は結ばれる、僕は貴女に恋をした。」の類いの現実にはありえないようなセリフが自然にポンポン出てくる。
そして財産を使い果たし、ホテル代未払いで追い出されることになろうとも、それがどうした、ルクセンブルク家とは代々そういうものよ、と悪びれる様子もない。

恋愛なぞ消耗するから面倒だなあ、などと言っているようではいけない。
失恋したら落ち込むけど、また新しい恋が待っているのさ。そんなセリフなかったけど、たぶんそういう男よルネって奴は。
ルネを見習おうではないか。

って、女たらしの勧めをするつもりはありません。

お金は天下の回りもの。あるだけ使っちゃえばいいのだ。
でも、ホテルを追い出されたら彼はどうやって生活するんだろう、、、。

そうか、何の臆面もなくボヘミアンと一緒にジプシーになるんだろうな。

よっしゃ、本当にいざとなればホームレスとして生活すればいいんだ。
自分の気持ちに素直になって人生を楽しもうじゃないか。

日常のウツウツとした気分を一気に吹き飛ばしてくれる舞台に大きな勇気をもらいました。

ここでもらった勇気をサムライの歌に活かしたいです。(ってなんだか柄にも無く真面目な締めくくりだ)

つまり、オペラっぽくかっこつけて歌うだとか、音程やリズムが崩れることを怖れて感情を出し切らないとか、世間体や体面を気にした服装を心がけるだとか、一流大学を出て一流企業の重役コースでないと家柄に相応しくないだとか、古い国産車でゴルフに行くのは恥ずかしいだとか、連れて歩く彼女がとびっきりの美人でないとみっともないだとか、高級腕時計を所有していないので情けないだとか、年に一度の外食でしゃぶしゃぶを食べに行くのに一番安い「梅」を注文するのはみっともないだとか、過去の失敗にいつまでもクヨクヨしているだとか、いやな奴がいるので会社や学校に行きたくないだとか、常に一番でないと気が済まないだとか、絶対に期日までに何かを仕上げなければならないだとか、、、、

そういう全てのコダワリを捨て町に出よう。

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